登場選手・監督・コーチに関する傾向と対策


登場者に関する傾向と対策

「燃えよドラゴンズ」に登場する合計356人のドラゴンズ選手(コーチ、監督含む)の中で、登場回数上位10人は次の通り。

順位名前回数登場曲
立浪和義19 88, 91A, 91C, H5, 98, 99, , 99V, 00, 02, 04, 05, 06, 06V, 07, 07V, 08, , 24
山本昌広18 88, 91A, 91C, H5, 98, 99, , 99V, 00, 02, 04, 05, 06, 06V, 07, 08, 10, 14
星野仙一17 74, V2, 77, 79, 82, 87, 87B, 88, 91A, , 91C, 98, 99, , 99V, 00, 名M
4川上憲伸14 98, 99, , 99V, 00, 02, 04, 05, 06, 06V, 07, 07V, 08, 14
岩瀬仁紀14 99, 99V, 00, 02, 04, 05, 06, 06V, 07, 07V, 08, 10, 11, 14
井上一樹13 98, 99, , 99V, 00, 02, 04, 05, 06, 06V, 07, 07V, 08
荒木雅博13 99, 00, 02, 04, 05, 06, 06V, 07, 07V, 08, 10, 11, 14
福留孝介12 99, , 99V, 00, 02, 04, 05, 06, 06V, 07, 21,
井端弘和12 99, 00, 02, 04, 05, 06, 06V, 07, 07V, 08, 10, 11
10谷繁元信11 02, 04, 05, 06, 06V, 07, 07V, 08, 10, 11, 14( 2)
10森野将彦11 02, 04, 05, 06, 06V, 07, 07V, 08, 10, 11, 14

  • 1位は、立浪和義。 全43曲中19曲に登場。
    ミスタードラゴンズの代名詞にふさわしい登場回数であるが、希,24で監督として登場して1位となった。
    43曲には球場合唱編など選手名が登場しない楽曲も含まれている事から、事実上、半分以上の燃えドラに登場している。
  • 2位は、 山本昌広。 全43曲中18曲に登場。
    日本プロ野球界のレジェンドの名にふさわしい順位で、88からの登場である。
    すべて選手としての登場。
    それでも、不調で日本シリーズのメンバに入らなかった07V、故障で登板がなかった11には登場していない。
  • 3位は、 星野仙一。 全43曲中17曲に登場。
    星野仙一は、74〜82と名が選手として、87以降が監督として登場。
  • 4位の14回登場は川上憲伸、岩瀬仁紀
    川上憲伸は98以降の「燃えドラ」のリリースラッシュ期間でカウントを増やし、2012年のドラゴンズ復帰後の14での復活で14回となった。
    岩瀬仁紀は、99から14まで韓以外すべて登場(選手名の登場しない球場合唱編、命の限りを除く)。1000試合登板、400セーブを達成した球界を代表する投手ならではである。
  • 6位は、井上一樹、荒木雅博の2人で13回
    井上一樹は、4位の川上憲伸と98から08まで登場曲はまったく同じ。
    荒木雅博は、99からの登場。
  • 8位は福留孝介と井端弘和の12回。
    福留孝介は、99年のルーキーイヤーからシカゴ・カブスに移籍するまでの07まで登場した。ドラゴンズに復帰し再登場となった。
    井端弘和は、11までは荒木雅博と「アライバ」で登場曲はまったく同じ。2013年末の退団で12回で止まった。
  • 10位は谷繁元信、森野将彦の11回。
    谷繁元信と森野将彦は、登場曲はまったく同じ。
    森野将彦は、04以降はレギュラーでの登場。
  • なお、「オレ流」「オレ竜」の表現は、個人名を示すものではないということで、カウントから外しているが、仮に「落合博満=オレ竜,オレ流」とした場合、選手としての6回( 87, 87B, 88, 91A, 91C, H5 )に、監督としての12回( 04, 04ド, 05, 06, 06V, 07, , 07V, , 08, 10, 11 )が加わり、18回登場となり2位に並ぶ事になる。
    ちなみに、落合博満は、監督としての12回のうち、06Vは「落合監督」と表現されているので、本集計では選手としての6回と監督としての1回で登場回数7回となり、順位としては33位に位置付けられる。
    詳細は、燃えよドラゴンズ 登場選手一覧 順位表を参照。

    注: 選手の登場回数のカウントで、往年の名選手編(,名M)で「2人井上」と紹介されているが、これを「井上 登」と「井上弘昭」と判断した。また、07,08の「堂上兄弟」は「堂上剛裕」「堂上直倫」としている。


    外国人選手は、通常在籍年数が少ないため、おのずと登場回数が少なくなる。そこで外国人選手のみで集計をした。

    順位名前回数登場曲
    L.ゴメス6 98, 99, , 99V, 00, 02
    T.ウッズ6 05, 06, 06V, 07, 07V 08
    T.マーチン5 74, V2, 77, , 名M
    ゲーリー R.5 87, 87B, 88, , 名M
    李鍾範5 98, 99, , 99V, 00
    D.ビシエド5 19, 19B, 21, 24
    R.マルティネス5 19, 19B, 21, 24
    郭 源治4 82, 87, 87B, 88
    サムソン4 98, 99, , 99V
    宣銅烈4 98, 99, , 99V
    アレックス O.4 04, 05, 06, 06V
    12W.デービス3 77, , 名M
    12K.モッカ3 82, , 名M
    12ドミンゴ G.3 04, 05, 06
    12李 炳圭3 07, 07V, 08
    12チェン・ウェイン3 08, 10, 11
    12Y.ロドリゲス3 19, 19B,
    18M.ライアル2 91A, 91C
    18S.アンダーソン2 91A, 91C
    18J.マーシャル2 , 名M
    18J.ミラー2 , 名M
    18E.ギャラード2 00, 02
    18M.バンチ2 00, 02
    18L.マルティネス2 06, 06V
    18R.クルス2 07, 07V
    18T.ブランコ2 10, 11
    18M.ネルソン2 10, 11
    18E.ロメロ2 19, 19B
    18Z.アルモンテ2 19, 19B

    1998年(平成10年)〜2002年(平成14年)に在籍し、通算150本塁打を記録したゴメスと、2005年(平成17年)に横浜から移籍して落合ドラゴンズを支えたウッズが6作品でトップ。
    ゴメスは在籍期間および在籍年数が「燃えよドラゴンズ」のリリース時期と合いカウントを増やした。
    ウッズは、在籍年数もさることながら優勝記念盤2作品(06V,07V)への登場でカウントを増やした。

    「燃えよドラゴンズ」が3年連続してリリースされた1998年(平成10年)〜2000年(平成12年)に在籍した李鍾範が5作品で続く。ゴメスとともに99年3部作でのカウントが大きい。

    また、「燃えよドラゴンズ」が比較的多くリリースされた1974年(昭和49年)〜1977年(昭和52年)頃に在籍していたマーチンが往年の名選手編(名,名M)でもカウントを増やして5作品登場という結果となった。

    ゲーリーは87,87Bと名,名Mのそれぞれの2カウントが効いての5作品登場となった。
    ビシエド、ライデル・マルティネス両選手も、19,19Bの2カウントが効いて、同じ登場曲の5作品に登場。
    マーシャル、ミラーの懐かしの両選手は名,名Mでのランクイン。
    アレックス、ドミンゴ両選手は04,05,06,07のリリースラッシュでランクイン。

    ライアル、アンダーソン両選手は1991年(平成3年)にアルバムバージョン(91A)とCDシングルバージョン(91C)の2曲がリリースされた事、マルティネスは06、06V、李 炳圭、クルスは07、07Vのリリースによるカウントアップとなった。

    チェン、ブランコ、ネルソンは在籍期間中の10、11のリリースでカウントしてランクイン。
    ロメロ、アルモンテ、ロドリゲスの令和元年の3選手は、19,19Bのリリースでの2カウントとなった。


    郭は1989年(平成元年)9月に日本人帰化しているため、外国人枠として登場した年代で4回。日本人帰化後も含めると 91A, 91C, H5 の3回が追加になり7回となる。

    なお、与那嶺 要は74、V2、77と監督で登場するが、登録枠のある選手に限ったランクとしたため除外した。



    燃えよドラゴンズ 登場選手一覧 登場回数順位表 ダウンロード(PDFファイル)



    「燃えよドラゴンズ」でフルネームで登場するのは、下記の通り。

    名前フルネーム登場曲
    星野仙一74,V2
    郭 源治88,91A
    与田 剛91A,91C
    森 徹,名M
    落合英二H5
    川上憲伸98,99,99V,04
    宣銅烈98,99,,99V
    サムソン・リー98,
    李鍾範
    李炳圭07,07V,08
    山井大介07V
    根尾昂19,19B,
    福留孝介
    中田翔24

    アジアの外国人選手が目立つ。
    なお、サムソンの本名は「李尚勲(イ・サンフン)」だが、登録名「サムソン・リー」をフルネームとして扱った。
    また、00登場のディンゴはいわゆる Lastname, Firstname の登録名ではないため、英智は姓・名となっていないためそれぞれ除外した。

    04の筒井壮は、歌詞表記はフルネームだが、読み(歌)としては名字のみの「つつい」なので除外した。同様に07の川上憲伸も読み(歌)は「けんしん」なのでリストからは除外している。
    また、21は歌詞カードが存在しないのでこの項目は調査対象外となる。


    登場回数総括

    「燃えよドラゴンズ」への登場回数が多くなる要因としては、

    1. 長年ドラゴンズに在籍している。
    2. 長年、1軍に在籍するか監督になる。
    3. 1年に2曲以上リリースされ、その年に該当する。
    という事になる。
    3.については、1987年(87,87B)、1991年(91A,91C)、1999年(99,韓,99V)、2006年(06,06V)、2007年(07,07V)、2019年(19,19B)が「その年」にあたる。


    その他登場者に関する傾向と対策

    他球団選手
    「燃えよドラゴンズ」では他球団の選手が1名だけ登場する。
    V2 で元大洋ホエールズのミヤーンが登場する。正岡真二を「ミヤーン打法」と紹介する部分がそれである。ミヤーンは当時ニューヨークメッツに在籍していた。ただ、楽曲中は何度聞いても「ミヤコン打法」と聞こえる。

    最少試合数選手
    「燃えよドラゴンズ」に登場する選手は、必然的に一軍で活躍する選手であるわけだが、ほとんど一軍経験がない選手が登場するケースもある。

    一軍経験なし
    一軍経験がない選手として、05で登場する樋口龍美がいる。
    2004年自由獲得枠でJR九州から入団したが、ルーキーイヤーからヘルニアを患い、一軍のマウンドに立つ事なく2007年オフに戦力外通告を受け、球団職員となった。

    08は、リリース時期が4月13日であったこともあり、それまで一軍経験のなかったが、キャンプ・オープン戦での成果などから期待された選手が何名か登場する。2006年の大学・社会人ドラフト5巡目指名で新日本石油から入団した岩崎達郎、6巡目指名で法政大学から入団した西川明がそれである。

    1試合のみ
    1試合しか一軍経験のない選手として、99Vで登場するN.リリアーノがいる。
    李が不振のため緊急入団したが、結局1試合だけ先発で登場し4打数2三振の結果に終わり、そのまま99年のシーズンオフに戦力外通告を受けた。

    新人選手
    新人選手が、一軍経験のない時期にCDがリリースされたことにより試合数なしで登場するというケースもある。
    00で登場する、99年ドラフト1位で地元東邦高校から入団した朝倉健太は、楽曲リリース時には一軍経験がない状態で登場した。
    06でも、2005年高校生ドラフト1巡目指名で大阪桐蔭高校から入団した平田良介、大学生・社会人ドラフト4巡目指名で駒澤大学から入団した新井良太も一軍経験がない状態で登場する。 07では、2006年高校生ドラフト1巡目指名で地元愛工大名電高校から入団した堂上直倫が「堂上兄弟」で実兄堂上剛裕とのセット表現で登場する。
    08は、リリース時期が4月13日であったこともあり、地元名城大学から2007年大学・社会人ドラフト一巡目指名で入団した山内壮馬が一軍経験がない時期での登場となっている。
    19では、話題のスーパールーキー根尾昂が登場。
    では、最下位に低迷する2022 年シーズン終盤で、将来を見据えた希望を歌っていることもあり、当該シーズンルーキーのブライト健太が、リリース時一軍未経験の状態で登場する。

    ケガ人
    ケガで登場機会がほとんどない状態で登場するケースもある。
    02でのFA移籍で期待されつつも2年間一軍登板のなかった川崎憲次郎や、00の当該のシーズン中に一度も一軍経験がなかった今中慎二といった、ケガに苦しむ選手がドラゴンズファンの願いがこもった歌詞で登場する。

    親子登場選手
    「燃えよドラゴンズ」に親子で登場するのは、堂上 照と堂上剛裕、堂上直倫。
    堂上 照は77で愛称の「ジャンボ」で登場。堂上剛裕、堂上直倫は、ちょうど30年後の07で「堂上兄弟 竜の華」で2人揃って初登場。
    このほか、近藤真一(真市)・近藤弘基も、親子登場が期待されたが、2019年シーズン終了後に近藤弘基が戦力外通告・引退となり、実現されたなかった。

    1曲で2回登場
    谷繁元信が、2014年に選手兼任監督に就任した事により、14では、打順パートの3番と、監督胴上げパートの8番で、1曲で2回登場する。

    追悼復帰登場
    2021年6月30日に大腸がんでなくなった大島康徳が、 8787B以来、追悼の意味で37年ぶりに21で登場。

    未登場選手
    一軍経験がないのに登場する選手もいれば、レギュラー、準レギュラー、などの一軍選手であるにもかかわらず、一度も登場しない選手もいる。「燃えよドラゴンズ」のリリース時期も要因のひとつ。

    主な未登場選手

    名前説明
    新宅洋志主に木俣の控えとして活躍
    金井正幸中継ぎとして活躍。長嶋茂雄引退試合の日のダブルヘッダー第一試合でプロ初先発した。後に韓国球界でノーヒットノーランを記録。
    飯田幸夫代打の切り札。74年の代打サヨナラ満塁ホームランが印象的。
    梅田邦三太平洋より移籍して主に正岡の控えの守備要員。ちなみに太平洋時代にプロ野球3万本目のホームランを打ったとされたが、後に29999本目訂正されて幻となってしまったというエピソードを持つ。
    星野秀孝中継ぎ左腕として活躍
    三枝規悦阪急よりトレードで入団。中継ぎで活躍
    関東孝雄主に代走・守備要員
    早川 実控え投手。中継ぎ要員
    中原勇一木俣・中尾の控え捕手
    富田 勝81年に在籍。田淵幸一、山本浩二と共に「法政三羽ガラス」と呼ばれた。主に代打で活躍
    安木祥二81年オフに金井正幸との交換トレードでロッテより移籍、控え左腕投手
    金田進中尾、金山の控え捕手
    市村則紀中継ぎ左腕投手
    桑田 茂主に中継ぎとして活躍。落合とのトレードで牛島らと一緒にロッテへ。
    山内一弘84年〜86年、監督をつとめた
    後藤祝秀長身を武器に主に中継ぎで活躍。その後、マック後藤の芸名で俳優として活躍。
    平沼定晴中継ぎ投手。落合博満とのトレードで牛島和彦らと一緒にロッテへ。移籍後の清原和博の「バット投げ」での乱闘はあまりにも有名
    松永幸男貴重な中継ぎとして活躍
    バンスロー90年に在籍。打率.313、本塁打29本の成績を残した
    吉鶴憲治主に控え捕手
    斎藤浩行広島から移籍、代打の切り札として活躍
    北野勝則ワンポイント等、貴重な中継ぎ左腕として活躍
    野中徹博阪急退団後の日本球界復帰で入団。主に中継ぎとして活躍
    金村義明94年オフにFAで中日入団。代打の切り札として活躍
    椎木匠主に控え捕手
    M.ホール95年に在籍。
    D.コールズ96年に在籍。打率.302、本塁打29本の成績を残した
    小山伸一郎96年ドラフト1位で三重県明野高校より入団、ファームで最多勝や2年連続最優秀救援投手賞に輝くなどの実績を残し、2000年頃より中継ぎ中心に起用される。2004年に楽天へ無償トレード。
    M.バルガス2002年〜2004年にの3年間在籍したが、目立った結果は残せなかった。退団後の2005年には韓国三星ライオンズに入団、同年のアジアシリーズに出場、千葉ロッテ戦に先発するなどした。
    大塚晶文
    (シーズン途中で晶則に改名)
    2003年に在籍。ギャラード移籍後のシーズン後半は抑えとして活躍。03年オフにポスティングシステムで大リーグ エクスポズへ。2006年のワールドベースボールクラッシクでは全日本のクローザーとして活躍。
    S.ラミレス2007年に在籍。開幕からのシーズン序盤は貴重な中継ぎとして活躍。
    F.グラセスキ2007年に在籍。開幕からのシーズン序盤は貴重な中継ぎとして活躍するも、6月に練習中のケガで年内の復帰が困難ということでウェーバー公示・自由契約となった。
    川岸強控え投手として活躍。2006年に戦力外通告、その後、楽天の入団テストで合格し入団。
    斉藤信介中継ぎ控え投手として活躍。
    D.セサル2010年に在籍。メキシカンリーグの首位打者、盗塁王、MVPのふれこみでの入団も結果が出ず、2010年の優勝を決めた後に自由契約となった。
    E.バルデス2010年に在籍。シーズン当初は先発ローテーションの一角をにない、7試合に先発登板した。
    前田章宏2009年頃から谷繁らの控え捕手として一軍登場。2001年に地元中京大中京高から入団し、2009年にプロ初安打を放った。
    中川裕貴2009年にプロ入り6年目で初安打を放ち、以後、控え、代打要員として活躍するも、ケガに苦しみ2011年シーズン終了後に戦力外通告。
    中田亮二ブーちゃんの愛称で親しまれていて、控え選手として活躍。
    J.グスマン2011年に在籍。長打力が魅力で、開幕戦で来日初本塁打を放ち期待されたが、結局、73試合、打率.181、7本塁打に終わり、シーズン終了後、クライマックスシリーズ前に戦力外通告・ウェーバ公告となった。
    J.B.ソーサ2012年に在籍。主に中継ぎ、セットアッパーとして53試合に登板、活躍した。シーズンオフに残留交渉が難航、ブランコ、ソトと共に退団、DeNAに移籍する形となった。
    西川健太郎2013年に9試合の先発実績があり、7月31日の阪神戦では7回二死までパーフェクトに抑えるピッチングを見せ、プロ初勝利を飾った。
    M.クラーク2013年に在籍。期待の長距離砲として入団、チーム最多の25本塁打を記録したが、打率が低く三振も多く1年で退団となった。
    松井佑介主に控え、代打として活躍。2019年シーズン途中に松井雅人と共にオリックスへトレードとなった。
    ブラッドリー B.2012年在籍。11試合に先発し先発ローテーションの一角を担った。
    小熊凌祐2013年に中継ぎとして活躍、2015年からは先発としても活躍。
    岩崎恭平2013年に54試合に出場、控え野手ながら打率.286、8盗塁を決めるなど活躍。
    R. M. ナニータ2015年、2016年に在籍。2016年はシーズン当初は勝負強さを見せていたが、後半は怪我で結果が残せず退団となった。
    若松駿太2015年にチェンジアップを武器に先発ローテ入りし10勝あげた。
    小川龍也中継ぎ左腕として活躍。母親がフィリピン人のため2012年の第3回WBCでフォリピン代表入りした。
    R.バルデス2015年〜2017年に在籍。先発ローテーションを守り活躍。
    八木智哉トライアウトを経て2014年オフに入団。2015年開幕ローテーション入りし、メジャーから復帰した広島黒田との投げ合いに勝ったことをきっかけに、広島キラーとして活躍。
    ジョーダン N.2016年、2017年に在籍。高橋聡文のFA移籍を受けて中継ぎ候補として入団したが、チーム事情で先発にまわり、2年間、先発ローテーションの一角を担った。
    D. ネイラー2015年途中に四国アイランドリーグplusの香川オリーブガイナーズより入団、結果を残し、2016年開幕ローテション入りしたが怪我で早々に離脱。
    A. ゲレーロ2017年在籍。入団1年目に球団新記録となる6試合連続本塁打を記録し、35本塁打で本塁打王を獲得した。
    森繁和2017年~2018年、監督を務めた。
    S.モヤ2018年〜2019年途中まで在籍。燃えよドラゴンズ!2019 令和の激励に登場してレコーディングもされたが、CDリリース前にオリックスへ金銭トレード、結果、レコーディングのやり直しとなってしまい、燃えドラ登場は幻となった。
    武田健吾2019年シーズン途中に松葉貴大と共にオリックスより交換トレードで入団。控え外野手として活躍。2021年はシーズンフル登録で移籍後初本塁打も記録したが、その年のオフに戦力外通告を受けた。
    岡野祐一郎2020年のルーキーイヤーから活躍。
    L. ゴンサレス2020年在籍。中継ぎで活躍。
    加藤翔平2021年シーズン途中に千葉ロッテより加藤匠馬との交換トレードで入団。移籍後初打席初球本塁打を記録した。プロ初打席初球本塁打、クライマックスシリーズプロ初打席本塁打なども記録している。
    後藤駿太2022年シーズン途中にオリックスより石岡諒太との交換トレードで入団。
    H.メヒア2023年シーズン途中に入団
    M.フェリス2023年シーズン途中に入団
    砂田毅樹京田陽太との交換トレードで、DeNAより入団。2023年より在籍
    岩嵜翔2021年オフに又吉克樹のFA移籍の人的補償でソフトバンクより入団。2022年にトミージョン手術を受け、2023年は育成契約となり、2024年6月に支配下に復帰した。

    山内一弘が監督をつとめた3年間(84〜86年)、森繁和が監督をつとめた2年間(2017〜2018年)は「燃えよドラゴンズ」がリリースされなかった。


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